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「現代武士道」の死とは殉職に通じたり!

現代のサムライたち(1)・・・天晴れ大和撫子!
平成のサムライ:東日本大震災・南三陸町防災庁舎での殉職職員遠藤未希さん。
職に殉じて花と散った未希さんは結婚式を控えた24歳の乙女であった。

埼玉県が県内の公立小中学校約1250校の道徳の教材として遠藤未希さんの「人への思いやりや社会へ貢献する心」を伝えることになったことが26日に分かり、河北新報社は27日の朝刊で伝えた。
未希さんの声は「天使の声」として町民の心に深く刻まれている。

≪以下河北新報記事要約≫  2018年4月12日

 「大津波警報が発令されました。高台に避難してください」
 防災無線の呼び掛けが、多くの命を救った。だが、声の主の行方は震災から1カ月たった今も知れない。
 2011年3月11日午後2時46分、宮城県南三陸町の防災対策庁舎2階にある危機管理課。町職員遠藤未希さん(24)は放送室に駆け込み、防災無線のマイクを握った。

 「6メートルの津波が予想されます」「異常な潮の引き方です」「逃げてください」
 防災無線が30分も続いたころ、津波は庁舎に迫りつつあった。「もう駄目だ。避難しよう」。上司の指示で遠藤さんたちは、一斉に席を離れた。
 同僚は、遠藤さんが放送室から飛び出す姿を見ている。屋上へ逃げたはずだった。が、津波の後、屋上で生存が確認された10人の中に遠藤さんはいなかった。
 南三陸町の住民約1万7700人のうち、半数近くが避難して命拾いした。遠藤さんは、多くの同僚とともに果たすべき職責を全うした。
 遠藤さんは1986年、南三陸町の公立志津川病院で産声を上げた。待望の第1子に父清喜さん(56)と母美恵子さん(53)は「未来に希望を持って生きてほしい」との願いを込め「未希」と命名した。
 志津川高を卒業後、仙台市内の介護専門学校に入学。介護の仕事を志したが、地元での就職を望む両親の思いをくみ、町役場に就職した。同僚は「明るい性格。仕事は手際よくこなしていた」と言う。
 2010年7月17日、専門学校で知り合った男性(24)と、町役場に婚姻届を出した。職場仲間にも祝福され、2人は笑顔で記念写真に納まった。
 2011年9月10日には、宮城県松島町のホテルで結婚式を挙げる予定だった。
  
 山内猛行さん(73)は防災無線を聞き、急いで高台に逃げた。「ただ事ではないと思った。一人でも多くの命を助けたいという一心で、呼び掛けてくれたんだろう」と感謝する。
遠藤さんの声は、住民の記憶に刻まれている。

★ 彼女も立派な平成のサムライであった。
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